カイユボットは、1894年の2月21日に45才の若さで急逝しました。プティ・ジュヌヴィリエの庭で倒れ、回復できなかったようです。彼の弟ルネも20代の若さで亡くなっていたことから自分の健康を心配してか、カイユボットは早いうちから、自分がコレクションしていたルノワールやモネ、セザンヌ、ドガなどの絵画作品をルーヴル美術館に寄贈するという遺書を準備したともいわれています。
カイユボットの葬儀はパリ9区にあるノートルダム・ド・ロレット教会で行われました。あまりに多くの人が葬儀に参列したため、中に入りきれなかったといいます。画家であり、ヨット競技者兼設計者、パリ郊外の町プティ・ジュヌヴィリエの町議会議員、印象派画家の支援者だったカイユボットは、きっとたくさんの人から慕われる魅力的な人柄だったのでしょうか。
葬儀後の3月初め、画家ピサロが息子に宛てて「私たちはまたひとり、誠実で献身的な友人、カイユボットを失った。彼は突然の脳性麻痺で亡くなった。善良で気前がよく、才能ある画家だった」(カイユボット展カタログより)という手紙を書いたそうです。遺言執行人となったのは、友人のルノワールでした。
今年、カイユボットの足跡を追ってパリに取材に行った時、彼が眠っている墓地も訪ねました。カイユボットはパリ最大の墓地ペール・ラシェーズに埋葬されています。19世紀の初頭にできたこの墓地には世界的著名人のお墓が集まり、ドラクロワ、モディリアーニなどの画家のほか、作曲家のショパン、作家オスカー・ワイルド、現代に近い人ではマリア・カラス、俳優イヴ・モンタン、また歌手ジム・モリソンなどのお墓もあります。カイユボットの友人ピサロもここに埋葬されました。
ペール・ラシェーズは丘状になった広大な敷地で、入る前に園内地図をよく見る事が必須。地図を見ても迷ってしまいそうなほど広く、入り組んでいます。
門近くの地図を見るとカイユボットのお墓には70区の100番という番号がついていました。正面の門から入り、左手のほう。墓地が想像以上に広くて、行きつくまでにかなり歩いた気が。カイユボットのお墓は坂になった場所あり、ひさし屋根のついた石造りの家型のお墓が、すっと上品な感じで立っていました。
お墓にはカイユボットの自画像のコピーが掲げられていました。誰が飾ったのかな?彼に敬意を表して、私たちはドアの外に花束を置いてきました。
内部はよく見えなかったものの、小さなステンドグラスが外からの光を透して美しく輝いていましたよ。
この自画像のオリジナルが現在、ブリヂストン美術館に展示されています。しっかりカメラ目線(?)のこの絵に会いに行くなら最終日の29日までに!
photos: ©Mayumi Ishii